友達の子供の事

こんな話がありました

、子供が小学5年生の時に母親を亡くし、その影響で子供が荒れ狂い、やがて暴力団に入り、弾除けとしてボデーガードとなってしまった為に困った父親が当社に救助を求めてきました。さっそく当社の顧問弁護士に対処法を依頼し、組の親分に直接交渉させ、問答無用で組を強制脱退させました。

その後、知り合いの社長に諸事情を納得の上、預かってもらいました。

しばらくの間、組仲間が再度工場に引き抜きに来ましたが、社長監視の下では諦めざるを得なくなり、逆に最後にはその連中も従業員として工場で一緒に働くようになりました。

その後、必死に働いた子供は晴れて独立し社長になり、誘ったヤクザ仲間と父親も一緒に子供の会社の従業員として働く様になりました。

父親はその元ヤクザの子供の命令で毎日こき使われているそうで、毎日を楽しそうに語っていました。

人はほんの少しのきっかけで良くもなり、悪くもなるものと感じました。

せっかく功を遂げ、名を残しても晩節を汚す方のいかに多い事、全く残念に思います。

最後の最後にすべてを失う結果には、昔から因果応報という諺があります。

そこそこに生き、そこそこに死んでゆく、これは非常に難しい事ですか。

昔から「死に欲」という言葉があります、慾深くなったときはそろそろお迎えのサイン、お互いに注意しましょう。

 

ある遺伝子学者の話では長生きの秘訣は第一に無欲で生きること、そして死なない事だそうです。